ドラマオン!

部屋の押し入れに起居しているロボット、ドラマオンと僕のお話。

「前は、毎月5万円は飲み代に使ってたんだってさ。でも、お酒をやめて8年」
「それが、伸太さんのお庭のドラム用の防音室に化けたのね。すごいね、お父さん」
「飲んだらおしっこになるだけだけど、貯めるとこうなるのか、ってしみじみ言ってたよ」
「あはは」

今日は、クリスマスイブで、二学期の終業式。

邪岩も脛男も、忙しいらしく先に帰ってしまい、俺は昼下がりまで不如ちゃんと二人、部室で練習していた。
いつもは部活終了時間ぎりぎりまでいる俺も、今日はなんとなく気が抜けて、早めに帰ろうか、と不如ちゃんと帰り道に着いたのだ。

風が冷たい。

眼鏡をやめてコンタクトにすると、結構直に冷気を顔に受けるものなんだな。
髪を伸ばして初めて、風に髪がなびく経験をした。
ちょっとこそばゆい。

「あ、そういえばね、こないだ合唱部の後輩に聞かれたんだ。
私たちのバンド、BLUE BUBBLESって、なんでそういう名前になったんだっけ?」
「え?えっと、あれ?」

なんか、バンド名を決める会議をわざわざやって決めた気がするけど、あれ、なんでだっけ?
なんでだっけ?
なんでだっけか?記憶なんてあやふやだね。

「そうね。はは。あ!」

スーパーかなんかで配っているのか、今日は、何人も風船を持った子供とすれ違う。
今、目の前のお母さんにおんぶされていた赤ちゃんが、青い風船を手放したのだ。

「ああ。飛んでっちゃった」
「でも、泣いてないね。きょとんとしてる」
「大丈夫みたいね」
「ええと。それじゃ」
「うん。明日、石神先生のライブ、頑張ってね。応援しに行くから」
「ありがと。じゃ」

明日は、石神先生が学生時代からやってるバンドで助っ人ドラマーをやる。いよいよ。
俺は、不如ちゃんと別れ、帰宅して、自室に戻った。
カバンを下ろし、着替えようと、学ランのボタンを外そうとしていると、さっきの会話を思い出したのだ。

ああ、そうだ。
BLUE BUBBLESの名前の由来。

なんでだっけな?なんで、BLUE BUBBLESって名前にしたんだっけ。

ううん。

と、その時、さっきお母さんにおんぶされていた赤ちゃんが手放した風船が、突然、頭に浮かんだ。

青い風船。

青い風船。BLUE BUBBLES。

なんかそういう色、形状のことが気になる。それがヒント?
なんだろう?
探して探し当らない、どこが本当の正体だかわからない、場所が特定できない痒みのような。

俺は、咄嗟に、普段習慣的に開けることのない押し入れの左側を開けていた。

なんだっけ、このくぼみ。
なんだか、大きな球が二つ乗ったような形状が、押し入れの上段の布団に残っている。

かつて、何かがここにいた?

そんなわけない。いや、まさか。

でも。

いや、うん。
確かに、ここにいた。

ここにいた、気がする。

それのことを思い出そうとすると、妙ななつかしさが湧いてきたのだ。
あたたかい。
これは、俺にとって、かけがえのない何かの跡だ。
じゃあ、なんだ。
思い出せない。
忘れまいとしていたものだ、これは。
忘れないようにしようとしていた。

これ以上、忘れたくない何か。
なんだ?

あ。

あ。これだ。

一つ思い出した。一つだけ。
確かに、ここにいたものが言った言葉。

この言葉も俺は、忘れてしまうんだろうか。
いや、もう忘れたくない。

俺は、忘れる前にその証拠をどこかに残さないといけない。

急がないと。

俺は、家を出て、駆け出した。

忘れる前に、早く。

大丈夫、まだ覚えてる。

まだ覚えてる。

うん、覚えてる。

目の前に、ギターを背負った不如ちゃんの後姿があった。

「不如ちゃん!!」
「え?何?なんで走ってきたの?」
「不如ちゃん!」
「何?」
「俺たち10年後に結婚するんだ」
「え?」

息が苦しい。
大きく深呼吸すると、あれ?

俺は、何を口走っているんだ?
なんでこんなことを言ってしまったんだ?
なんで、ここまで走ってきた?

「ねえ、それ、プロポーズ?私たち、中学生よ」
「いや、あれ、なんだかわかんなくなっちゃって」
「どうしたの?」
「いや、あの」
「ふふ。いいわ。望むところよ。受けて立つわ」
「え」
「よろしくね」
「あ。こちらこそ、よろしくお願いします」
「明日は、彼氏のライブを応援しに行く彼女ね、私。素敵」
「がんばるよ」
「ね、ちょっぴり大回りして歩こう」

また一人青い風船を持って歩く子供とすれ違った。
でも、それより俺は、つなぐ不如ちゃんの掌が温まっていくのを感じるのに、心を囚われていたのだ。

 終







俺たちのブルースブラザース。3曲目は。

Everybody Needs Somebody to Love

2曲やって、ソロも回ると、俺たちもすっかり緊張がほぐれたみたいで、レツゴー三匹の微笑む横顔が楽しそうだ。
観客もあったまったようで、今日の演奏の中では色物扱いの俺たちが、どうにか受け入れられているのがわかる。

次の曲も、邪岩がメインボーカル。
でも、途中、彼が、ハープを吹く関係上、メインボーカルが不如ちゃんに切り替わる。

ちょっと、かっこいい。

しかし、それにしても、こんなことは聞いてない。
いつ練習したんだ、そんなステップ。

邪岩と不如ちゃんが、並んで不思議なステップを踏んでいる。
揃っているような揃っていないような。

でも、妙に微笑ましい風景に、観客は大うけしている。

まあ、こけたりしないでよかった、ははは。

俺たちが、ブルース部の顧問を、定年まであと一年の石神先生に頼みに行ったとき、石神先生は、たった一つ、自分たちに注文を出したのだ。
勿論、俺たちは今まで、それを忘れていたわけではなかった。

ただ、できるだけいいバンドの状態で、いい環境で、やりたいと思っていた。

それが、今日。

石神先生は、一曲、やってほしい曲があると、リクエストしたのだ。
今日の最後の曲は。

Sweet Sixteen

BBキングの曲。石神先生との約束だ。

ボーカル、ギターは、不如ちゃん。

邪岩は後ろに退いて、バッキングギターに専念する。

不如ちゃんのステージだ。


  *


「16歳の女の子に恋をした昔、その娘にまったく相手にされなかったのね。
自分がしてほしいと思ったことを彼女は何もしてくれなかったって。泣き言ね。
でも、キングさんは、今や、歳をとって、ビッグになった。今なら、お前にしてやれないことはなにもないんだぜ、って言うの。

そのかつて、16歳だった女の人へのメッセージね、これ。
お前は、今や、誰かが俺の名前を叫ぶのを聞くために、高いチケットを買うんだって、いうのよ。

多分、そんなところだと思うわ。

この歌詞は、一体何かしら。かつて16歳だった彼女だって、きっともう、おばあさんよね。
その彼女に対して、なんていうの、この気持ち。
愛情?恨み?自慢?みっともないんだか、かっこいいんだか、さっぱりわかんないわ。
なんか、すごい。

石神先生は、なんで私たちにこれをやってほしかったのかしら。
石神先生のsweet sixteenがどこかにいるのかしら。もう、分かんないことだらけだわ」


  *


わかんないなりに、不如ちゃんは、一人、ピックを持って短音を奏で始めた。

「私は私。不如は不如」

彼女の演奏を合図に始まる、スローブルース。
アップテンポの曲が続いた後の単音弾きに、観客が耳をそばだてているのがわかる。

ここからは勿論見えないが、おそらく不如ちゃんの表情はギターの音に合わせて、相当の変化を見せているはずだ。


  *


「そうか。こういう気持ちをみっともないと思わないことね。
そう。わかった。復讐に身をゆだねるの。
どうだ、ざまあみろ、って。
うん。それ。ぞくぞくしてきた。これね」


  *


不如ちゃんは、不如ちゃんの答えを歌い、弾いている。

バックは、やがて現れる高揚のため、押さえて押さえて、どこまでも抑えて道を行く。

まだよ、まだよ、まだよ。

まだ、まだ。

まだ。

、、、。

ここ!

不如ちゃんの右手のゲンコツが強く、高く上がった。

俺は、今日一番の渾身の一撃をスネアに叩き込んだ。

その音に粘りついてくるような、脛男のベース。

掻きむしるような邪岩のギター。

溺椙が、立ち上がってピアノを連打している。

レツゴー三匹のブラスは、フォルテシモを唸りあげている。

やがて、突然の静寂と、不如ちゃんの叫びに近いふり絞る声からの、フィナーレ。

会場は拍手と歓声に包まれた。

俺たちは、やり遂げた。















温かいうちに召し上がれ、だ。
どんどん行く。

Sweet Home Chicago

ブルースブラザースバージョンは、邪岩のメインボーカルに、不如ちゃんコーラス。

こんなにでかい音で邪岩の声を聴いたのは初めてだ。勿論不如ちゃんの声も。
ホント、このバンドは、この二人のまったく個性の違うフロントマンがいたからこそ、成り立っている。
邪岩のだみ声に、不如ちゃんの、澄んでいるけれど太い張りのある声が重なる。
相手を補い合うかのような、声のアンサンブル。

「テナーサックス!鷹田純!」

そして、不如ちゃんの合図で、ソロが回り始めた。

純ちゃんは、発言の奔放さと打って変わって、演奏になると、慎重に音を選ぶ。
アンサンブルの音も、ややもすると小さくまとまろうとするので、不如ちゃんには、そのことを何度も言われていた。
一度、下校途中、学校の近くのグラウンドで夕闇の中、練習している姿を見たことがある。
あんまり真剣だったので、声もかけられなかった。

頑張れ、純ちゃん。

果たして、出てきた音は、ばりばりの音の粒だ。渾身の音の弾丸が炸裂している。
やったぜ、純ちゃん。
ソロを長作ちゃんに渡すと、また涙ぐんでいる。意外と泣き虫。

「トロンボーン!長作ひろみ!」

ジャズ部のバンドアレンジを担当しているのが長作ちゃんだった、というのは後で知った。

将来は音楽の道に進むらしい専門肌で、普段は物静かだけど、いざトロンボーンを構えると人が変わる。
ちっちゃくて色白のその姿からは想像もできない、ダイナミックな音と動き。
楽器を振り回して乱れる。

暴れるフランス人形。

今日も暴れた。
さぞギャップ萌えする男子がいそうだけれど、悲しいかな、邪岩が彼氏じゃ手出しができない。

「トランペット!南春緒!」

上級者揃いのジャズ部トランペット四人衆の中で、わずかに頭一つ抜けているのが南ちゃんだそうだ。

柔らかい物腰と、穏やかな表情。
話していると、こっちがとろとろになってしまいそうな声。
でも、そんな見た目で、競争心が強く、練習の虫。
今日も、純ちゃんや、長作ちゃんに負けたくないはずだ、と思ってると。

出た、狙った。ハイノート。

会場がどよめいている。

「ピアノ!溺椙幸之助!」

小学校から一緒の、溺椙。
勉強も、運動も一番。おまけにいい奴。
何をやっても一級で、こんな奴は、将来何になるんだろう、と思っていたら、劇団に入った。
その彼が、ブルースや、アドリブ演奏の楽しさに目覚めてくれたのは、ラッキーだった。

演奏は、速い。
とにかく速い。

冒頭のBLUE BUBBLESの口上の言葉も速かったが、打鍵も速い。
よくそんな風に、指が動くな、口が動くな、頭が回るな。

誰も、溺椙にはかなわない。

溺椙のソロが終わり、再び歌に戻ると、手拍子が起こった。
あれ、と思うと、溺椙が、ピアノの席を立って、がんがんお客を煽っている。

そして、そのまま、ぴょんぴょんリズミカルな舞踏を始めた。

盛り上がる観客。

BLUE BUBBLESのメンバーは、最高だ。












眩しい!

この会場の舞台は、小学校や中学校の催しで何度か上がったことがある。
そう、この感じ。
ひたすら初めは目が眩んでいて、舞台の向こうに千人以上の観客がいることに現実味が感じられない。

リコーダーアンサンブルの生徒の、緊張がまだ解けない顔と入れ替わりに、俺たちは舞台に向かった。

俺が舞台中央すこし高い所。
俺の右隣には、近接した位置で脛男が立っている。
スペースがあるので、もっと広めにとればいいのに、と言ったことがあるが、ドラムのすぐそばの方がやりやすいんだそうだ。
それは、俺も同じ。

右のずっと遠く。
袖の入り口のあたりに、グランドピアノとキーボードが並んで設置してある。
溺椙は、軽く椅子の高さと、キーボードの出音だけ確認すると、さっさと引っ込んでしまった。

溺椙の位置から線対称で、レツゴー三匹が並んでいる。
トランペットの南ちゃん、テナーサックスの純ちゃん、トロンボーンの長作ちゃん。

さすがの純ちゃんも緊張しているだろうか、と思いきや、小声でなにかボケをかましたらしく、南ちゃんと長作ちゃんに、両側から肘でつつかれている。

前列中央は、俺から見て、左に不如ちゃん、右に邪岩。
正面から見ると、お内裏様にお雛様の配置。

不如ちゃんは、2ステージ目なので気持ちの余裕があるらしく、大きく足を広げて、客席を見渡している。
前かがみになってスタンバイしている邪岩は、なにか、ボス争いの決戦を前にしたオスゴリラのようだ。


「鈴菜中学校ブルース部の演奏です」

ふう。よし、行くぞ!

「ワン、ツー、ワンツースリーフォー」

楽しい予感しかしない、I Can Turn You Loose。

俺のドラムに合わせ、脛男のベースと、不如ちゃんのギターが同じリフを重ね、邪岩の小気味いいカッティングがそれに乗った。

そこに、レツゴー三匹がテーマを発射する。

「そこ!もっともっと、切れ味を出して!まだまだふにゃふにゃ。もっともっと!」

不如ちゃんが、何度も何度もダメ出しをして、純ちゃんが涙ぐんだのは、ホントの話だ。
でも、今日の三人の、このキレッキレのブラスときたら。

俺たちの、ブルースブラザースが走り始めた。

そして、袖から、マイクを持って、ぴょんぴょん跳ねながら登場したのは、溺椙。

これは、舞台役者の動きだ。
鋭敏で倦んだところが全くない。
ブラスのテーマが終わるや否や、ギターリフに合わせて、口を開けば。

「生まれはばらばら、育ちはこの辺。産婦人科で産湯を使い、姓は八つに名は八つ。それもそのはず、八人組の、勝手に名乗ったBLUE BUBBLES。不思議な縁を持ちまして、町のはずれに集まって。ブルースにかぶれ、漆にかぶれ。やめるわけには、ヤンバルクイナ。明日のことは、阿修羅神。しゃあないことよと、シャレコウベ。結構毛だらけ、猫灰だらけ。お尻の周りのシリアスドラマ。本邦初かな、中学生の、よくぞ許したブルースバンド。男は逃げられ、女は泣いて。そんな心を歌います。所は、第二視聴覚室。部室に寄り添い集まって。磨いた磨いたシャッフルビート。今だ未熟でふつつかながら。力の限りを尽くします。我ら鈴菜中学校。ブルース部員計八名。差し違え絶える覚悟にて、演奏します奏でます。末席汚して済みませぬ。それではそれでは参ります。BLUE BUBBLESここに見参!」

マシンガンのような早口の口上。
キーボードの前に座る溺椙に、嵐のような拍手が沸いた。

つかんだ!

それっと、レツゴー三匹のブラスが再び発射。

上がった上がった。さっきより大分上がってる。

すげえすげえ!

見ると客席は、微妙に、左右前後に揺れ始めた。

よし、このまま、次の曲、行こう!














「んもお、鬼!鬼不如!私泣いた。ほら、見て、涙の跡、見てみて、涙。
かわいそうな私。いけずな不如」

「ねえ、純ちゃん、それ、さっき電車の中で大あくびこいてた時のじゃない?
でも、確かに、すごい練習したよねえ。できるまでずっと同じところやらせるんだもんね。
私、強くなったわ。不如のおかげ。ふふ」

「ふふ、と違う!」

純ちゃんがと南ちゃんが、お喋りしながら、リハーサル室に入ってきた。
あとは、不如ちゃんと、あれ、長作ちゃんは?

「ひろみちゃんは、マウスピース忘れたと。一旦来たけど、戻ってったぜ」

ひろみちゃんだって?何で下の名前?邪岩。

「ごめんね、武君。間に合った。よかった」

ひろみちゃんに、武君?
なんだなんだ、この二人だけ。

なんだ、この寄り添い合う、美女と野獣的な、微笑ましいすごくいい絵は。

「野火君、何も知らないようなので、教えてあげます。
長作ちゃんと邪岩さんは、中学生らしい反不純異性交際をなさっています。
帰れるときは一緒に帰ろうね、だって。
こんなにかわいいのに恋に恋するばかりの私に先んじて」

純ちゃんのことはいいとして、そうだったのか。
全然知らなかった。

邪岩、なんで教えない?

「ん?言わなかったか?」

当たり前のように構えているのが憎たらしい。
そういえば、「ひろみちゃん」って、どもりもせず、名前を言いきった。すごい進歩だ。
もう、「ちょちょ長作さん」、は聞けないのか。

「おう、それよか。溺椙、大丈夫か、台詞んとこ」
「僕を何だと思ってる?一応、役者だよ。
このぐらいささっと涼しくやりたい。任しといて」

役者以前に君は、なんでもできすぎ溺椙君。
まったく心配してないよ。

脛男は、今日はエレキベース。
椎作さんが、沢山の機材と一緒に譲ってくれたベースだ。

「この低音がさ、1200人の観客に届くのかと思うと、なんか武者震いするね」

今日は、「全市中学校音楽祭」。中音祭の当日。
市の中学の音楽系の部がすべて集まる。
吹奏楽部に、合唱部、その他、少人数の小さな部にもすべて参加権利があって、自分たちブルース部も出られることになったのだった。

「すいませんね。私が申し込みを忘れるところでした。忘れたら、さぞ恨まれたでしょうね」

石神先生はそう言ったけれど、なんのことはない俺たちだって、言われてから、あ、そういえば、と気づいたのだ。

出演の順番は、各校合唱部が先。
その後、小編成の部があって、最後が吹奏楽部。
レツゴー三匹の所属するジャズ部は、吹部の枠に入っていた。

俺たちは、小編成の部。
今、舞台袖で出番を待っているであろう他校のリコーダーアンサンブルの後。
それで、今さっき合唱部の出番を終えたばかりの不如ちゃんがくるのを、このリハーサル室で待っているのだ。

「ごめんなさい!間に合わないかと思っちゃった。記念撮影が長引いちゃって」

揃った!

邪岩武 vo. gt. hrp.
皆本不如 vo. gt.
骨川脛男 ba.
野火伸太 dr.
溺椙幸之助 key. pf.
南春緒 trp.
鷹田純 Tsx.
長作ひろみ trb.

「不如ちゃん、チューニング大丈夫?」
「オッケー」

幽霊部員の溺椙に足が生え、兼部可となったジャズ部からレツゴー三匹が入部して、八人。

「鈴菜中学校ブルース部の皆さん、移動お願いします」

新体制BLUE BUBBLESの晴れ舞台だ。



「プロのドラマーを目指して頑張ることにしたよ」
「そう」
「え?なんかないの?驚かないの?ドラマオン」
「あはは。よかったね。よかった」
「そうか、ドラマオンは知ってるんだもんね、俺の未来。
どうなるのかな?なれるのかな、俺、プロドラマーに」
「知りたいの?」
「うん」
「話しちゃいけないんだよ、人の未来のこと」
「俺と不如ちゃんの結婚のことは、前に、教えてくれたのに?」

ドラマオンは、あ、と頭を掻く。

「覚えてた?あれは、君があまりに不甲斐なかったからね。頭来ちゃったんだよ。
頭来ちゃっても話しちゃいけないんだけど。あはは。
僕は欠陥ロボットだからね。ごめん。でも、ホントに知りたいの?ホントに?」
「そう言われると、ちょっと待って。ううん。いいや。言わないで。知りたくない」
「そうだよね」
「上を目指して努力してるのが、楽しいんだ」
「うん。伸太君、えらい。立派になった」
「なんか、お爺さんみたいだね」
「それは、もうしょうがない。お爺さんだもん。
僕は、君がプロドラマー目指して努力することに、賛成するよ。
それで察してほしい」

沖縄の離島、波照間島は、人が住んでいる日本の最南端。
その島の南端の海岸で俺たちは今、海を前にして座っている。

海も空も、真っ青だ。

「ドラマオン、遂に来たね。最北端から、最南端」
「うん。感無量。楽しかったよ。最後に、こんな旅ができてよかった」
「このあと、ドラマオンは、未来に戻って」
「うん。で、しばらくしたら、活動停止だね」
「俺も一緒に行けないのかな?」
「それは、無理だよ。未来には未来のルールがある。
それに、活動停止の場所に君がいたんじゃ、僕がこの時代にずっといたことがばれちゃう。
ダメなんだよ、ホントは。勢鷲君たちに迷惑がかかる」
「そうか」
「今まで伸太君やみんなと過ごせて、よかったよ」
「俺も、ドラマオンがいてくれてよかった。
ねえ、君がいなくなった後、君のいた記憶は僕たちからなくなっていくんだよね」
「うん。そうだね」
「それ、つらいんだよな。三年も一緒にいたのに。俺たち」
「ははは。そうでもないんだよ、それが」
「なんで、そう思う?」

うんと、と、ドラマオンはちょっと空を見上げた。

「君は、幼稚園で一緒だった子の姿や名前、何人思い出せる?」
「えっと。二人、三人、かな」
「思い出せない他の子のことを、どう思う?」
「ん。どうとも思わない」
「ね。そういう風に忘れるんだ」
「あ」
「僕たちには、薬の性質があるって、ドラミンが言ったろ」
「うん」
「例えば、農薬。虫たちを寄せ付けないように、作物は根から薬を体に取り込む。
その薬の力で植物は体を守るけど、最終的に、僕たちが食べる時、農薬が残ってちゃだめだよね」
「うん」
「成長して、情緒のしっかりした君に、僕の姿が残っちゃいけない」
「それでも」
「気持ちはわかるけど、今だけなんだよ、ホント、今だけ。この数日だけ。つらいのは」



午後、俺たちがバンドを始めた庭のテントに、BLUE BUBBLESのメンバーが集まった。

ドラマオンが、未来に行ってしばらく帰ってこられなくなる、と言ったら、じゃあ、ドラマオンのために小さなライブをしようということになったのだ。

お客は一人。

にこにこ笑って椅子に座って、何も言わずに僕たちの演奏を聴いているドラマオンは、ほんとのお爺さんのようだ。
最後に彼に演奏を聴いてもらえてよかった。

みんなが帰って夕方、勢鷲とドラミンちゃんが机の引き出しから迎えにやって来た。

「じゃあね」
「じゃあね」

また会えるような、そんなお別れの言葉を交わして、ドラマオンは未来へ戻っていった。

寝る間際、気になって引き出しを開けてみると、当然、どこかに通じる亜空間はもうなくて、代わりに、同じ場所で、俺が幼いころに描いた巨大なティラノサウルスが、咆哮していた。

「下手くそ」

そう独り言を言うと、途端に涙が溢れて、嗚咽が止まらなくなった。

「ドラマオン!」








「あ、いたいた。野火君。熱心ですね」

放課後、部室で一人練習していると、石神先生が入ってきた。珍しい。

「ちょっとね、野火君に個人的にお願いがあるんですよ」
「お願い?え、何ですか?」
「実は、私が学生の頃からやってるブルースバンドがあってね」
「学生の頃からって言うと、もう40年」
「そんなになるか。あっという間ですね。毎年一度、ライブをやり続けて40年。
うん。ちょっとすごい。
で、そのバンドなんですけど、今年ドラマーが海外出張で出られなくなってしまったんです」
「はい。え?まさか」
「そうそう。誰か代わりを探さないと、と思っていたら、なんだ野火君がいるじゃないですか」
「それは、自分にはあまりにも」
「無理じゃないですよ。実力は十分。大丈夫だと思います。
私もいるし、分からないところはアドバイスできる。
ま、急なことでもあるし、二三日中に答えをくれませんか」

何の話をするかと思えば、あまりのことに気が動転する。
大人の、しかもベテランのバンドで叩くって。

でも、あ、そうだ、石神先生と二人になる機会を逃しちゃいけない。

俺は、最近ずっと考えていることを先生に聞いてみた。

「プロドラマーですか。中学生だし、志を高く持つのはいいことだよ。
がんばって。応援するよ。っていう答えは、多分望んでないですよね」
「努力次第で、自分でもなれるのか、知りたいんです」

「ううん。私も専門ではないから、野火君にプロの資質があるかどうかは分かりません。
ただ、リズムは正確でグルーブ感も出せる。野火君のドラムで演奏すると気持ちいいですね。
いいものは持っている気がします。
今からがんばればひょっとすると、って気にはなりますね」

「ひょっとすると」
「一途に、その道を今から進んでいくのは一つの選択ですよね。
私がもし今、中学生だとして、野火君と同じアイデアを思い付いたら、多分、そこを目指して練習します、一途に。君の年齢が羨ましい。もう一回中学生をやり直したい。ははは」
「一途に。はい」
「ただ」
「はい。ただ」
「ただ、運もあります。実力があっても、チャンスがないかもしれない。
それから、努力した結果、自分の力がそこまでではないと、悲しいけれど、知ることもあるかもしれない」
「はい」
「そうだとしても、長い時間一つのことに打ち込んだ経験はちゃんと、野火君の人生にいい結果をもたらすと信じてはいますが」
「ええ」
「国語数学理科社会英語。勉強だけは、ちゃんとやりましょう。月並みですが」
「あはは」
「野火君にはプロドラマーになってほしいですよ、個人的には」
「え?なんでですか」
「だって。野火君には、それが一番合ってると思うから」

「なりたくってなれる職業じゃないけど、そもそもなろうともしない人間がなれるわけがない」

こないだ西瓜君が話した言葉が頭から離れない。
西瓜君は、トランペットのプロを目指しているのだ。
決めるなら、早くしないといけない。

気がはやる。

その日、ドラム教室の飛田先生は、こんな風に言ってくれた。

「プロね、プロ。うん、そうこなくちゃ。
そりゃ、楽器なんて趣味だからね、人それぞれ、勝手に楽しめばいい。
練習してライブやって満足して、練習してライブやって満足して。その連続でも一向にかまわない。
でもさ、大きな目標を立てたくない?若いんだから。立てたいよねえ。
釘打つのも、鉋がけするのも楽しいけど、家の姿を見たいよねえ」

飛田先生は、嬉しそうだ。言葉が止まらない。

「プロは、まあそれで飯を食うってことだよね。自分の技術を売るわけだ。

でも、プロになる大きな意義は、もう一つ別にあって、その楽器に好きなだけ触れていられるってことなんだよ。ずっと、それのことばっかり考えていられる。
ドラムのことばっかり考えて、自分の技術をまだまだどんどん磨ける。

例えば、学生時代ずっとバンド中心の生活をしてたけど、就職決まって、バンドどうすんの?いや、続けるよ、ってもね。いったん社会に出ると忙しすぎて、なかなか楽器に触れなくて、それっきり埃をかぶったまま、なんてことにもなっちゃう。
僕はね、それが嫌だから、この道を選んだんだよ。ずっとドラムが叩けるから。
ずっと鍛錬できるから」

「プロになると、ずっとドラムを叩いていられる」

「うん。野火君は、僕が出した課題を毎週、ちゃんとこなしてきている。
修正すべきところも修正してくる。すごく熱心だ。
どれだけ普段練習してるのかは、上達具合と手のマメでわかるよ。
ドラム、相当好きでしょ。叩いている表情も楽しそうだ。
ずっとずっと叩いていたいなら、おのずから道は一つしかないよね。
ドラムを叩かない毎日を想像してご覧?どう思う?」

「ドラムを叩かない毎日」

「ね。あ、ちなみに僕は誰にでもプロの道を勧めているわけじゃないからね。
覚えておいて」

石神先生の言葉と、飛田先生の言葉を、頭の中で反復しながら夜、横たわって目を閉じると、翌朝の布団の中で俺の決心は固まっていた。

目を開けると、見慣れた青が視界に入った。

「おはよう、伸太君。約束の土曜の朝だよ。
迎えに来た。沖縄行くよ。波照間島行こう。今日は、忙しくなるね」

そうだ、今日は、ドラマオンとの最後の一日。





夏休みが明けて、中間試験が終わり、俺たちは、部室である第二視聴覚室を使ったライブの準備をしていた。

「けんもほろろ、取り付く島もないとはこのことだったね」
「そうだったの?」
「他人事みたいじゃん、伸太」
「ん?」

「不如ちゃん「好きな人がいるから、脛男さんとは付き合えないわ、ごめんなさい」って、言ったんだぜ。きっぱり。もう、それは、きっぱり。
初めから何を言われるか知っていたように、きっぱり」

「あら」
「だから、その好きな人って、誰だろうね、って」
「さあ」
「伸太、お前。ったく、ほんとに、あれな」

まあ、兎に角、脛男が失恋の痛手から立ち直ったようでよかった。
石神先生も脛男に言っていた。

「ブルースは、女に逃げられた男の歌ばっかりでしょ。女の人に振られてこそ、一人前のブルースマンですよ。
みんなの中で骨川君だけは人に言えますね。
「お前、女に振られた男の気持ちがわかるかい。それが、ブルースだぜ」って。
はははははは」

その不如ちゃんが悩んでいたのは、脛男のことではなく、ギターのことだったが、それもひとまず解消したようだ。

「バディ・ガイさんは天才なのね。人間そのものがギターっていうか。ギターが心っていうか。
指使いは真似できても、そもそも彼の心までコピーするのは無理だわ。
私は、私。不如は、不如。
コピーも大事だけど、私は、今の私の心を弾かなきゃ」

このごろはまた、楽しそうに弾いている。不如ちゃんが戻ってきた。
邪岩のハープは、なんと。

「いつもいつも、できるならできると早く言ってくれればいいじゃんなあ、キング石神。
ハープもすげえうまいんだよ。ギターだけじゃねえじゃんか、できるの。
ばっちり教えてもらったぜ。すげえ練習した。
今日は見てろ。Smokestack Lightnin、かます」

「お、伸太。お前のドラムも、良くなったな」

え?ホント?そういえば、こないだ見学に来てた西瓜君にも言われた。

「野火先輩のドラム、ずっと聴いてますけど、良くなってると思います。
一個一個の音が強くて、確か。
余裕もあって、なんていうか、ドラムが自分の手足みたいに自由に動いてる感じ。
始めてまだ一年経ってないなんて、信じられない。
すごく一杯練習してるって聞いてるし、もしかしたらですけど、野火さんって、プロ志望ですか?」

「まさか。ありえないよ。なれたらそれはうれしいけど、無理でしょ。
うまい人なんか山ほどいる」
「うちの父が言ってました。「なりたくってなれる職業じゃないけど、そもそもなろうともしない人間がなれるわけがない」って。
俺は、プロになれればいいと思って、そこを目指してトランペット、吹いてます」



そして。

第一回BLUE BUBBLES校内ライブは、放課後、沢山のお客さんを迎えて行われた。

新生吹奏楽部はみんな観に来てくれた。
不如ちゃんが出るので合唱部の子も何人も。
あ、邪岩の妹の桜ちゃんがいる。
各々のクラスの友達も来てくれたし、最近校内で話題の「キング石神先生」も演奏するというので、先生のファンもファンじゃない子も沢山やって来た。

夏の合宿で失敗したHoochie Coochie Man。Shake Your Money Maker。
今度はうまくいった。
バンドの音が活き活きしている。合宿は、なんだったのだろう。

邪岩の、Smokestack Lightnin。
ベンドできてる。
ぞぞぞっと、なんだか濁った音に迫力がある。
こりゃすげえ。歌も、一段と強さを増したみたいだ。

不如ちゃんをフューチャーしたインスト、Shikazu Boogie。

不如ちゃん本来の、陽気で躍動感のある音が戻ってきた。
右に左に歩きながら演奏する彼女の姿に、女子生徒の黄色い声が止まらない。

成功だ。俺たちは復活した。
アンコールを2曲やって俺たちの部は終了した。


そして、後半は、セッション。

レツゴー三匹、西瓜君をはじめ、吹部の管楽器の生徒は我先にどんどん参加したし、ドラムも、ギターも、ベースの猪狩君も、俺たちと交互に演奏した。
隣の音楽室から運び込んだピアノは、溺椙と、吹部のギャルっぽい1年の女子生徒が、かわりばんこに弾いている。

みんなこの日のために、練習してあるのだ。

観ている生徒は、舞台で何が起こっているのかわからず唖然としながらも、演奏を楽しんでいる奏者を羨ましそうに眺め、アドリブをやるセッションの仕組みを理解すると、歓声を上げた。

誰もが、一時主役を張れるのだ。

「楽しそう。私も、やってみたい」

合唱部の子の、そんなつぶやきが聞こえる。
そして、で、やっぱり。

最後は、キング石神先生の、How Blue Can You Getが、すべてを持って行ってしまうのだった。

さぞ、気持ちいいことでしょう、石神先生。

バックは、管楽器全員参加のビッグバンドだし。









合宿から戻った俺は、週に一回、ドラムのレッスンに通うことになった。

空いている時間はすべて叩き続けるという、夏休みの自分自身に課した課題をひたすら取り組んできたけれど、どこまでいっても、いくら叩いても、これで正しいのだろうか、という疑問が付いて回っていて、それを払拭したかった。

一人でやるのには限界があると、気づいたのだ。
俺にとって生まれて初めての習い事に父は、二つ返事でお金を出してくれた。
ありがたい。

俺は、通っている鈴菜中学の正門前に看板を出す、飛田ドラム教室の生徒になったのだ。

「まず、椅子ね、椅子。こんぐらいかな。膝くらい」

「で、セッティングね、セッティング。大事。
ちょっとやってみる?
やってみて。そうそう。あ、違う、高い高い、スネア、高い」

「姿勢ね、ま、楽な姿勢。自分が楽な姿勢。
猫背でもいいけど、やりすぎるともてない。
もてたかったら、もうちょっとピンと体を立てて。そうそう」

白髪の飛田先生は七十歳を超えているらしいが、とにかく声がでかい。元気。

「はい!ワンツースリーフォー!そうそう、いいよ!
右手左手、右手左手!均等に均等に、右左、力均等!」

「野火さん、バンド、もう、組んでるんだよね。
ならさ、録音あるでしょ。ないの?録って。今度から録って。練習のでもいいや、録って。
そんときに、自分の音をよく聞くんだよ。絶対、満足しないところ出てくるから。
ドラムセットの中の一つ一つがどんな特徴を持つ、どんな音を出してるのか意識して。
それじゃ、また来週。基礎練習やって来てね」

初回のレッスンでは沢山の手書きの練習プリントを持って帰ってきた。
やっぱり俺の思った通り、スティックの持ち方に始まって、基本の部分を沢山直された。
レッスンに行くことにしてよかった。がっちりついていかなきゃ。


帰宅して自室に戻ると、何か床に投げ出されている。

「御朱印帳」?

なんだこれ、と思っていると、押し入れが開いた。

「伸太君、お帰り」
「あ、ドラマオンこそ、お帰り」

そこに彼がいることが不思議に感じる。その位久々。

「びっくりした。これ、ドラマオンの?なに?御朱印帳って」
「あ。それね、仕舞い忘れちゃった。四国八十八か所、お遍路したんだよ。
御朱印帳に、お寺で御朱印をいただく。南無大師遍照金剛」
「お遍路!」
「そうそう、お大師さまに導かれてね」
「お大師様って。ドラマオン、仏教だっけ?ていうか、そもそもロボットに宗教って」
「ロボットに信仰があってはならぬか?南無大師遍照金剛」
「いや、悪くない」
「ぎゃあていぎゃあていはーらーぎゃあていはらそうぎゃあていぼーじそわかー」
「いや、分かったから。で、今回は」
「いやね。炎天下、ずっと歩き詰めたら、疲れちゃった。
それで、ちょっと休ませてもらっちゃった。今回はね、空も飛ばず、空間移動もなし」
「すごいなあ、それ。歩いて四国一周」
「そう。八十八番札所まで行ったよ。でも、へとへと。寄る年波には勝てない」
「寄る年波、、。無理しないでね」
「ま、ぼちぼち」
「今度会ったら聞かないとならないと思ってた」
「なあに?伸太君」
「ドラマオンは、北海道から始めて、日本を南下して、今、四国まで来たんだよね」
「青森、秋田、山形、新潟、富山、石川、福井、京都、兵庫、それで、四国」

ドラマオンは、空を見ながら県名を一つずつ辿っている。

「うん。じゃ、次は、九州?」
「そうだね」
「それから、沖縄だ」
「うん」
「その後、どうするつもりなの?」
「それか。でも、そうだよね」
「うん」
「帰るよ」
「ここに?」
「ううん、未来。勢鷲君のところ」
「そこがやっぱり」
「そうだね。活動停止は、どこでしてもいいわけじゃないから」
「そうか」
「うん」
「あのさ。沖縄、俺も行きたい。旅の終わりの場所に呼んでくれないかな?」
「なんか感傷的だなあ。そんなもんじゃないんだけどね。いいよ、そん時は呼ぶよ」

ドラマオンはそのまま押し入れに入り、二日間眠り続け、翌々日、部活から帰ると、またいなくなっていた。



二泊三日の合同合宿最終日午前は、ホールで、各々団体の発表会が充てられていた。

俺たちのバンド、BLUE BUBBLESは最初に演奏し、そして、散々な結果に終わった。

そもそも脛男は、前日の夜、キャンプファイアーの中、不如ちゃんに告白して、ごめんなさいと返事をもらった後だった。
平静を装ってはいたけれど、やはり、動揺していたのだろう。
ところどころルート音を間違えて、周りを困惑させた。

「ごめん。何にも言い訳できない」

不如ちゃんのギターアイドルはいつしかハウンドドッグ・テイラーから、バディ・ガイにかわっていて、この合宿では、頭をかしげながら、コピーを繰り返していた。

そんな彼女の演奏が、本番中のソロの途中で止まってしまう。

上手に踊るムカデが、ダンスの足の順番を気にしだしてから、まったく踊れなくなってしまう。
そんな童話が確かあった。考えすぎたのだ。

勿論、脛男のことも、彼女の演奏に影響を及ぼさなかった、とは言えないと思う。

「ごめんなさい。どうしちゃったのかしら、私。
何を弾いたらいいのか、わからなくなっちゃったのよ」

この合宿で邪岩は、ハープに挑戦していた。

手に収まるサイズで、簡単な楽器に見えるけれど、そんなたやすいものではない。
俺も一度試してみたが、吸いながら気道を調節して音を下げる、ベンド、という術ができない。
で、これができないと、ブルースにならない。

邪岩は、イチかバチか、ベンドを習得できていないままステージに上がってしまったのだった。
いわくありげなムードの、Hoochie Coochie Manという曲の中に、何も知らず一人取り残されてしまった花畑の少女といった風情だ。
違和感が唯ならない。

「すまん。ハープをなめてた。すぐできるもんだと思ってた。申し訳ない」

そして、あれ?という表情をしている観客の前で、俺は力んでしまったらしい。

スティックが手から滑り落ち、それを拾いに行くはずみで、椅子から仰向けに落ちてしまい、あろうことか電源ケーブルに引っ掛かりコンセントを抜いてしまったのだ。

最後の曲、Shake Your Money Makerは、完奏されることなく、幕は下りた。

「バンドは、失敗して、散々恥をかいて、それを糧にして、それで強くなっていくんです。
まあったく、気にしないでいいです。皆さんの行く道は間違ってませんよ。
新しいことに挑戦すれば、うまくいかないのは当たり前のこと。
怖気づくことなく、どんどん先に進んでいってください」

怒られるかと思っていたら、石神先生はそんな風に言ってくれたのだ。

「それより、落ち込んでないで、信号機と、吹部、ちゃんと応援して観てあげてくださいね」

そうだそうだ。


劇団信号機の出し物は、「ニワトリの日」。

鳥インフルエンザの流行により、未感染なのに殺処分を言い渡されたニワトリを飼う、ある畜産農家の同時多発ニワトリテロの計画立案と実行を描く。

舞台役者の実演というものを初めてこんな間近で見た。

幕の入り方と出方だけは決まっているけれど、その間はほぼ、演者の即興でつながれていく。
相手の言葉と動きに即座に反応する凄まじい反射神経、よく動く、口、表情、肉体。

変幻自在にトスを出し、返す江元さんの熟練。
突拍子もない発言をしては周りをけむに巻く、トリックスター鷹田さんの存在感。
二人の演技はみんなの中で秀でていた。
その中で、溺椙も、力のあらん限りステージを走り回っている。
訓練された体たちがとにかく神々しかった。

「お客さんのいる貴重な場を頂きありがとうございます。
これで来週が本公演です。がんばってまいります」


最後は新生吹奏楽部。

レツゴー三匹はいつになく、緊張した面持ち。
猪狩君は表情がカチコチだ、大丈夫か?
西瓜君は度胸が据わってるのか、目の前の壁をさっきから無表情で凝視している。

Make Her Mine
Moonlight Serenade
Sing Sing Sing

一曲一曲、南ちゃんの曲説明で進行してゆく。

音は固い。仕方ない。
時々、妙な音が聴こえる。それもしょうがない。
抑揚とか感じられない、力任せだ。まあ、しょうがない。
リズムが走る走るどこまでも走る。しょうがないしょうがない。

でも、演奏にはそこかしこに、音を奏でられることの喜びがあふれていて、俺は不覚にも涙が出そうになる。
横を見ると、不如ちゃんはハンカチで目頭を押さえている。

演奏が終わり、今日で一番の拍手が上がると、女子部員たちは肩を寄せて泣き始めた。

西瓜君は、紅潮した表情で眼前を凝視している。
猪狩君がベースを抱えたまま嗚咽している。

あの純ちゃんが、声を上げて号泣している。泣き方も派手だ。

耐えて耐えて、ようやく叶った自分たちの初めてのステージ。
その時、俺は、人生で何度もない、凄い場面に今出くわしているのではないかと、初めて思ったのだ。

それぞれの合宿は、こうして、幕を下ろした。












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